魏延好きならいつかやらねばと思っていた内容・・・
その名も魏延論。
荊州攻略から五丈原迄蜀の為に働き続けた忠臣でありながら、その報われない人生を世間に知らしめる為に筆を取った次第。
と偉そうに書いておきながら以下wikiからの引用(ぁ
魏延(ぎえん、? - 234年)字(あざな)は文長(ぶんちょう)
義陽郡の人
中国三国時代の蜀漢の武将
劉備の荊州時代以来の配下。
魏延は初めから劉表配下の親劉備派の将軍として劉備を迎える手筈を整えていた。ところが曹操軍の大軍から逃れるために民を引き連れた劉備軍が襄陽の城に現れた時に、既に曹操に降伏した蔡瑁軍が突然劉備軍に目掛けて弓を引いて攻撃した。それに怒った魏延が蔡瑁に対して反乱を起こした。その後長沙太守・韓玄の配下となった魏延は劉備の荊州の南4郡を攻めの時に同僚の黄忠が敵の関羽の一騎打ちの折に、黄忠の行動に対して韓玄が疑い黄忠を斬られそうになったときに民や兵士を先導させて共に反乱を起こして韓玄を斬り、城を開け降伏した。その後劉備の将になったが、その時の行動(主君を裏切る行動)に対して、諸葛亮は「反骨の相」があると言い、魏延を斬るように進言した。その時に諸葛亮に対して劉備が丸め込んだ為に斬られずに済んだが、その後ほかの武将に比べて信用が薄いように描かれている。
諸葛亮からは反骨だと罵られていたが、勇猛果敢で統率力があったために劉備から重用された。211年の蜀入りの際には、劉備軍に随行し一隊長を努めてたびたび戦功を立てたので、その功績で牙門将軍に昇進した。
219年、漢中王に即位した劉備が成都に帰還する際、漢中の地を要害とした。人々は重鎮の張飛が起用されるであろうと思っていたが、予想に反して劉備は魏延を督漢中・鎮遠将軍に抜擢し、漢中太守を兼務させた。魏延が漢中太守に拝命された時の抱負として
「曹操が天下の兵を集めて攻め寄せてきたならば、国家のためにこれを防ぎ、その将軍が十万の兵で攻めて来たならば、これを壊滅する所存でございます」と語ったという。このように魏延は劉備から絶大の信頼が篤かったことが窺える。
・・・どう?かっこよくない?w
横山三国志内でも28巻の侵攻玄徳軍から59巻の秋風五丈原まで31巻に渡って登場する。58巻ではとうとう表紙にも登場。
これだけ活躍したにも関らず、頭の骨の形がおかしいとかで迫害を受ける魏延・・・
同じく主を裏切り、劉備軍に加わった鞏志には何の文句も言わない諸葛亮・・・
子午谷を通っての長安奇襲を献策するも跳ね除けられる魏延・・・
なんて不憫な子なんだ。・゚・(ノ∀`)・゚・。
なお陳倉の戦いでの敗戦の後、追撃してきた魏の猛将王双(フンガー!)を一刀で斬り殺している・・・
なんで武力8勇猛の武将斬ってるのに勇猛が無いのですかセガさん・・・
消すところだったw
魏延・・きらいだw
ひたすら魏延でこもられて負けたから!
ヽ(`Д´)ノおにょれ魏延め
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